第6節アトレチコ・パラナエンセ対バイーア


ブラジル選手権は、週末の開催の場合、土曜の夕方6時30分、夜9時、日曜の午後4時、そして夕方6時30分開始の4通りの時間帯がある。
去年までは、土曜9時開始はなかったのだが、今年からこの時間帯が加わった。
ということで、最大で4試合見ることができるのだが、この週末はそのうち3試合を見たのだった。


まず土曜日の夕方6時30分開始の試合である。これは、ホナウジーニョ・ガウーショのフラメンゴの試合にも魅力を感じたが、地元バイーアの試合を見ることにした。
アトレチコ・パラナエンセバイーアである。


この2チームは、間違えなく降格候補だろう。
バイーアは、今年1部に上がってきたばかりだし、アトレチコ・パラナエンセは、パラナ州クリチーバにホームを構えるチームで、去年こそなぜか5位に入ったが、ほぼ毎年のように降格争いをしているチームである。
正直、普段ほとんど見ないので、選手もほとんど知らない。ただ、アトレチコ・パラナエンセには、毎年サントスから一人それなりの有力選手がレンタルされており、今年はマジソンが行っている。
マジソンは、サントスで2009年から2010年にかけてプレーしておりけっこう活躍していた。身長158センチという小さい体ながら、そのパワーあふれるプレーはなかなか見ごたえがあり、私も好きな選手だ。
そんなマジソンのプレーぶりを見るのも楽しみだった。あと、アトレチコの有力選手は、10番でキャプテンのパウロ・バイエールぐらいか。


一方、バイーアは、地元サルヴァドールのチームとはいえ、今年1部に上がってきたばかりということもあり、ほとんどの選手を知らない。
先週末、たまたま、長男が友達の家に遊びに行っており、私が迎えに行ったのが、ちょうど土曜の試合をやっている時間だった。
この家庭も御多分に漏れず、家族そろってサッカー観戦、それもバイーアの試合を観戦していた。そこのお父さんとTV観戦しながら、いろいろと話し合った。
このお父さんは、コリンチャンスバイーアのファンなのだが、バイーアについて、いろいろと教えてくれた。
今、バイーアでは、ソウザ、ジュニオール、そして加入したばかりのカルロス・アルベルトが有力選手と言っていた。
ジュニオールは、去年もう一つのサルヴァドールのチーム・ヴィトリアにいたFWだ。白く染めた短髪が特徴のかなり鋭いFWだ。
カルロス・アルベルトは、編みこみの頭髪が印象的なあの問題児として有名なカルロス・アルベルトだ。これが、バイーアに入ったことは、そのときまで知らなかった。
ソウザという名前の選手はたくさんいるが、バイーアのソウザについては、知らなかった。この選手、2009年、2010年にコリンチャンスにいたようだが、まったく知らなかった。


さて、そんな対戦であるアトレチコ・パラナエンセバイーアだが、特にどちらでもよかったのだが、地元ということで、どちらかというとバイーアを応援しながら見ていた。
どちらかというと、アトレチコのほうが攻めてたような気がする。マジソンとパウロ・バイエールを中心にいいところまで攻めるのだが、フィニッシュがまったくダメなのだ。まったくゴールが決まらない、それ以上に決まる感じがまったくしないのである。


前半は0−0で終わった。


後半、試合が動いた。後半20分、バイーアにゴールが決まった。カルロス・アルベルトからのパスを受けたマルコーネという選手がペナルティエリア少し外から鋭い一振りでゴールを決めたのだ。


その後、カルロス・アルベルトが交代で外に出たのだが、代わりに入った選手がヒカルジーニョ(リカルジーニョ)というではないか。よく見ると、まさにあのヒカルジーニョだ。2005年に私がブラジルに来た時にサントスで8番をつけて主力としてプレーしており、その後コリンチャンスでプレーしていた、あのヒカルジーニョだった。まさか、バイーアに入ったとは、まったく知らなかった。


このヒカルジーニョが、とてもいい動きをするのだ。いぶし銀という表現がぴったりくる。まさに、パッサーとして、素晴らしいスルーパスを連発して出していた。


そんな中、終了間際、そんなヒカルジーニョからのスルーパスに前線の選手が二人走っていき、そのうちの一人、ルリーニャという選手が見事に決めたのだ。


結局、2−0でバイーアがアウェイで勝ったのだ。


この試合終了後、アトレチコ・パラナエンセの監督、アジウソン・バチスタの解任が発表されたのだった。


まあ、この解雇には仕方がないだろう。
6試合を終え、1分け5敗勝ち点1という最悪の成績なのだ。


このアジウソン・バチスタは、日本ではジュビロ磐田でプレーおよび監督をしていたことで知られていると思うが、最近はまったくいいところがない。
比較的長期間クルゼイロの監督をやっていたが、去年、セレソンの監督にコリンチャンスの監督だったマノ・メネーゼスが就任し、その代わりにコリンチャンスに呼ばれたのがクルゼイロの監督だったアジウソン・バチスタだった。
去年のコリンチャンスは創立100周年という大事な年だった。マノ就任時はほとんど常に1位をキープしていたコリンチャンスだったが、アジウソン・バチスタが就任して以来、安定して勝つことができなくなったのだ。結局、シーズンを全うすることなく自ら辞任してしまったのである。
しかし、ブラジルの監督業は、なんともゆるやかなもので、辞めたりクビになっても、必ず他のチームが拾ってくれるのだ。数人の監督がブラジルのチーム間でローテーションしているような感じだ。
そのため、このアジウソン・バチスタは、去年後半、ネイマールと問題を起こして解雇されたドリヴァウ・ジュニオールが抜けたサントスの監督に就任したのだ。
しかし、これも長くは持たなかった。今年早々、リベルタドーレスのグループリーグでまったく結果が出せず、辞任に追い込まれたのだ。


しかし、ブラジルの監督業はいわばローテーションのようなものなので、いつのまにか、アトレチコ・パラナエンセの監督に就任していたのだ。


まぁ、またすぐどこかの監督に就任するのだろう。
それほど、ブラジルのチームは、ころころと監督が変わるのである。